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春17

年号が変わっても仏像という可視化された人々が縋れるものを作らなくなった

その分、人々は安心を平和に置き換え、より直接的に年号に表すようになった

昭和

私は見たことも感じたこともない時

 ただ、戦争があり沢山の人が亡くなったことは知っている

教科書に載っている程度に知っている

 

平和に成ると書いて平成

安直さが否めない

ただ、そこまで直接的に年号に表さなければならないほどに人々は平和を願った

 

令和

母音は平和と同じだ

相も変わらず人々は平和を願う

人為的な危機だけでなく、自然の脅威からもお守りくださいますようにと

 

どんな時代にも沢山の人が様々な理由で亡くなる

それは、もはや必然であるかのように

諦めよと言われているかのように

だから、一生懸命今を生きなさいというのはお門違い

でも、退屈で繰り返しばかりでなんでこんなことをしているのだろうと時には思ってしまう、そんな日常は日常ではないことをどこかで知っていなければならない

いや、知っているのかもしれない

目を逸らさないようになんとなく今日も息をしなくてはならない