春12
好かれなくていい、嫌われなければ
これは語弊がある
もっと深く詳細に言うならば、私に察知させるほどの嫌悪感を出すような関係でなければいい
生きている、ただそれだけで傷つき傷つけるのは誰だってたくさんなはずなのに、私達は今日も明日も明後日もずっとずっと傷という言葉と縁を切ることはない
正直、貴方が私をどう思っていようがどうでもいいのです
私はそれを知り、利益が生まれないことを理解しながらどうにかして好かれようと行動をするほど興味がありません、貴方に
可愛くなんてないんですよ、私
どのような態度を私に示すか、それだけ
私は貴方にとって、どの種類のどの程度の気遣いをする存在なのか、そのことにとても興味があるのです
気遣いが出来る人とは上手くやれる、どんなに仲が良くて信頼していても気遣いの気の字もない関係に将来などない
気遣いが出来る人と出来ない人、どちらがいいのか、答えはない
出来ない人の多くは、今まで気遣いをしなければならない環境に身を置いてこなかった
気付かなくても誰かが気付き、何もやらなくても誰かがやってくれていてそれに気付くこともないような状況下にいた人だ
恵まれている、何もしなくてもそのような人が周りにいる
好かれやすい、人誑し、もしくは周りにとんでもないお節介がいた、そんなところだろう
出来る人は、そのような環境に身を置いてこなかった、努力で築き上げる必要があった
気を遣わなければ、そして行動しなければ罪悪感に苛まれるような考えを刷り込まれた、そんな人だ
幸せと不幸せ、そんなものがあるのかも分からない
どちらがいいのかなんてもちろん分からない
気遣いの出来る人になりたければ、自主性を人生のテーマにすればよいのだろうか
自分を律しながら生きることが難しいように、自主性という言葉ほど現実味を帯びないものはない
無理やりそのような場に見を置く
そうせざるを得ない状況を作り出す
そこで一定の時間過ごす
気遣いをしなければ罪悪感に苛まれる程になればゴール
そんなもんだよな、ほんと